●ファミリーのホームステイ

私達ファミリー応援組は、後から出発しました。方向音痴の私はドキドキしながら、同じくホームスティを体験するファミリーのお父さんとイギリスまでは一緒にいる事ができ、イギリスでは、ダイアナ妃の住んでいたお城の近くの公園などを散歩することができました。イギリスの道路の舗装状況を見て、如何に日本の道路が素晴らしいか実感しました。昔人間の私は、今まで、日本は遅れていて、ヨーロッパは全て進んでいると考えていたからです。ただ、池だけは、日本と違い、柵などもなく自然を生かし、白鳥などが居た池は良かったと思います。イギリスから小さな飛行機に乗り換え、アイルランドに行きました。アイルランドからは、それぞれ、ホームステイ先が違うので、そこで、ファミリーとはさよならしました。どうなるかと不安に思っていましたが、ホームステイ先のご主人が迎えに来てくれていました。さあ、ここから、私一人英語で対応しなければなりません。最初の挨拶から、戸惑ってしまいました。計算が狂ってしまいました。今まで、発音に注意され気をつけてきたのですが、アイルランドは「なまり」があり、聞き取れないのです。東北弁と東京弁くらいの違いのように感じました。さあ、どうしよう?不安に駆られてホームステイ先に到着。そうすると、もう一組、ペルーからの日系二世のおじいちゃん、おばあちゃんがホームステイしていました。おじいちゃん、おばあちゃんと言っても、アスリートのご両親です。まず、そのおばあちゃんが私に「日本人のお友達なのよ」と見せてくれた「名刺」に驚きました。その名刺に書かれていた名前は、いつもお世話になっているご近所の方で、今回のホームステイの件で英語の教師をしてくれたお嬢さんのお母さん、SOのプログラムでも一緒にボランティア活動をしています。そのTさんの名前が書かれていたのです。このアイルランドで起こった奇跡とも言わせる、アメリカ、日本、ペルーとの人間関係をつなぎ合わせた「スペシャルオリンピックス」の力と不思議な縁を感じました。そのペルー人ご夫婦は、ダウン症のお嬢さんが、息子も参加した「コネチカット大会」出場し、応援に行ったその時にTさんと知り合ったというのです。このおばあちゃんが、日本語を話せたおかげで、随分助けられました。ホームスティ先のご主人は、「ギネスビール」に勤めており、わざわざ会社を休み、私とペルー人ご夫婦3人の足となり、車であちらこちらに連れてってくださいました。

私のホームスティ体験は、ペルー人のおばあちゃんに助けられながら、本当に2度と味わう事ができない温かい体験をする事ができました。日本から持って行った「折り紙」でご近所の子供達を呼び、「折り鶴」の折り方を教えたり、日本の手巻き寿司を作ってご馳走したりの日々を送りました。ご主人の会社「ギネスビール」の会社を見学したり、甥の方が、船を持っており「クルージング」に連れて行ってくださる予定でしたが、船に乗るとあいにく雲行きが怪しくなり、出航は無理だという事になり、船の中の見学だけで終わりました。最終日には、ホームステイ先のご夫婦が、ご近所さんご家族にも呼びかけお別れパーティーを開いてくれました。ペルー人夫婦と私のためにご主人は、ご近所の方と一緒にギターを弾きながら歌を歌ったり、記念の植樹を行ったり、楽しいひと時を過ごすことができました。そのパーティの席で、ホームスティ先のご主人が招待した養護学校の先生に、日本から持って行った療育おもちゃ「魚つり」を贈呈し大変喜ばれました。夜には近くの「パブ」に出かけ、大人ならでの楽しいひと時を過ごすことができました。