1.自閉的傾向と診断


乳児の時は、おんぶしても、母親の背に沿う事は無く丸たんぼうを背負っているよう。

親の姿を目で追う事もせず、ベビーベッドの上に飾ったメランコリーの回る様子をじっと見つめ、いつまでもおとなしくしていました。おむつが濡れても泣かず、ミルクが足りなくおなかが空いても泣かず、子供から親へのアプローチは全くありませんでした。手がかかりませんでした。1歳児検診で「未熟児でしたか?」と言われ、私はキョトンとしていました。お腹が空いて泣くということもなかったので、ミルクの量が足りず、成長が劣っていたようです。首の座りは、異常なかったのですがハイハイもしません(自閉症の特徴のようです)。いつになったら歩くだろうと思っていましたが、手をつないで引っ張ったら歩き、それが歩き始めです。

2歳になると、近所に同じ年頃の子供達が10人近く毎日外で遊んでいましたので、言葉は出ていなかったので、マネをするようにと思い、その子供達と遊ばせようと心がけましたが、一緒に遊ぶということは出来ませんでした。一人その輪からはずれ、石を拾ったりしていました。目を合わせず、名前を呼んでも親の元へは寄って来ず、振り返りもしないのに、遠く空に舞うヘリコプターの音に敏感に反応し、空を見上げていました。3歳になっても、バスに乗れば車のエンジン音に合わせ、「ウー、ウー~~~」と言っているだけ言葉も無く、「ラリ、ラリ、ラリ、~~~」と言って手をひらひらさせたりしています。

物がきちんと規則正しく並んでいないと気が済まず、靴は、すぐに並べ替え、玄関はいつもきちんと靴が並べられていました。所定の位置にものが収まっていなければ気が済ます、幼児なのに几帳面すぎてそばで見ていると窮屈になってしまいます。人間には興味がわかないのに、泣いている子供がいると、すぐさま側に跳んでいき、泣く様子をじっと見てその子の前でワハハ笑い続ける。手が土に触れることも大嫌い。頭をシャンプーするのも嫌がり入浴が大変でした。

それなのに水にこだわりを見せ、回るものにしか興味を示さず換気扇ばかり探してみている。人混みが大嫌いで混雑した場所ではいつも泣き叫んでいました。

甘える事も無く、抱きあげてもしがみついたりせず、するりと逃げていってしまいます。痛みにも鈍感で「やけど」をしても「泣く」ということもありませんでした。「はしか」にかかった時も、具合悪そうな様子は見せず、普段と同じ様子。私が熱が高い事に気が付き、病院に連れて行った時がピークで、やっと病院で泣き始め、医者から、「何でこんな子を病院に連れてきた!」と叱られたことがありました。異常さが徐々に現れ、周りの人にちょっと違うのではないかと言われ始めました。3歳児検診で「自閉的傾向」があると言われました。

「自閉的傾向」というものが、どういうことを意味するのか、知的障がいも伴っているということも、その当時の私は、わかりませんでした。おとなしい性格の事を意味しているのかくらいしか考えず、言葉もそのうち出てくるだろうと深く考えていませんでした。訪れてきた保健婦さんに、近くにある「デイケア」に行くことを薦められました。言われるがままに「デイケア」に行くと、同い年の息子と同じような無表情な子供が5人通ってきておりました。デイケアでは、指導員が一人一人子供に付き子供の様子を黙って観察し、ノートに記録するだけで、子供に話しかけるという事もなく遊ぶ事もなく、ただ時間が過ぎました。おもちゃがあってもこの子らは「遊ぶ」という事が出来ず、コミュニケーションも取れないので、どうしてもそのようにならざるを得なかったと思います。母親達は、別の部屋でリーダー格の指導員を中心に話し合いがなされましたが、子供の困る癖などが一人一人から話されると、我が子にも似たような癖がある事に気づかされ「デイケア」に行くたびに、ますます「自閉症」と言う「言葉の重さ」が感じられ、暗闇の中に落ちていくようでした。「デイケア」に行くたびに観察されるだけで1日が終わりました。そこに鉄格子付きの病院が併設されており、そこに入院していた17歳くらいの青年が外に散歩に出ていました。その様子は、「ノートルダムのせむし男」の様に背中は丸く丸まっており、ボーッと佇んでおりました。他の4人は皆言葉が出ているのに我が子だけは唸っているだけの様子から、指導員は、将来は、あの青年のようになり、入院するだろうと言われ、愕然としました。当時の息子の様子から、きっと親の覚悟を決めるように促されたのだと思います。周りからは、「自閉的傾向」と言う意味がわからないので、言葉の出ない原因を突きとめるため、大学病院等に診察に行くことを勧められ、何か所も診察に伺い、「何か治療法はあるのか?どうしたら良いのか?」相談しましたが、医師は、私と子供の様子を見て「親の育て方の問題」「砂糖の取りすぎ」「テレビの見せすぎ」「親が変われば治る」程度の答えしかなく、教育の方法も学ぶことはできず、冷たく突き放されるだけでした。当時、「自閉症」が脳の病気であることがわかっていませんでした。

テレビでは、自閉症は「叱らないで、甘やかし、自由にきままに、子供中心に自由奔放に生活する教育方針が良い」と放映されていました。