「お母さん」43才で初めて発した言葉


 通勤寮の寮長さんから色々質問されています。

「ご飯は誰が作ってくれていますか?」 息子:「おかあさん」。
「お掃除は誰がしてくれていますか? 息子:「おかあさん」。

43年間待ちに待った言葉。
生まれて初めて息子から発せられる「おかあさん」という言葉。
私は只々驚きと感動で胸が一杯になりました。

「おかあさん」という単語が、私を意味する言葉だとわかっていたのだ。
という驚きと、質問に対してきちんと答えられている。「面接」が成立している。

 
3歳の頃の息子は「ウーウー」唸るだけで狼少年のようで、「言葉」がある事さえわからず、ヘレンケラーとサリバン先生のように、一緒に行動し、言葉がある事を教えてきました。相手の話す内容は理解できても、43歳になっても1~2歳並かそれ以下の言語能力しかありません。そんなことも踏まえ、親亡き後、一人暮らしは無理だろうと寮生活を経験するため、「通勤寮」を申し込みました。

その場で寮長さんから、「面接をします。お母さんは黙って見ていてください。」と言われました。あまりにも突然の事。家でも母親との会話がままならない状態の上、他人とは緊張の為、声が出づらくなり私が「挨拶するのよ」と促し、「こんにちは」というのがやっとです。それ以上の言葉は出てきません。全く他人との言葉のやりとり「会話」、「面接」が成立するかどうか?私は無理だろうと思っていました。

 ところが・・・、答えが出るまで時間はかかりましたが、「面接」は成立しました。

  

「お母さん」と言う言葉が発せられてから、もう2年経ちますが、それ以来、「面接」が出来たという事が本人の自信にもつながり、新しい単語が増え、自閉症児には難しいというファジーな感覚の言葉「久しぶり」という言葉も自分からも使えるようになりました。「話したい」という気持ちも高ぶりいろいろ自分から「報告」するようになってきました。質問をすると何と言ったら良いのか一生懸命考えつつ言葉を発します。やっと親子間で会話らしい「会話」ができるようになりました。

健常な子供が、「ママ、パパ」と言えて言葉が増えていくように、「お母さん」と言う言葉が出て言葉が増えている様子を見ると、障がいを持っていても健常と同じ発達段階を歩むという事がわかりました。また、障がいを持っていても、成長が早いか遅いかの違いだけであるということが理解できました。

  

小さい頃考えられなかった現在の成長ぶり、手探りで行ってきた教育が43才になって初めて、今までの考え方で良かったのだと実感しました。素晴らしい先生との出会いがあり、その指導を仰ぎながら実践してきた成果と感じています。また、周りの人達も巻き込み、叱って頂きながら教育してもらい、世の中のルールを学ばせて頂き、沢山の経験を積むことができたおかげと感謝の念に堪えません。