6.信じる心


●障がい児と思わない、子供の前で出来ないことを話さない

K先生に注意された「3つの事」があります。

「障がい児と思わない」、「子供の前で悩みを言わない」、「子供の前で、子供の出来ないことを話さない」

この3つの事は、障がい児を育てる上で大変大切な事と思います。

 

●「障がい児と思わない」

「障碍児」と言う考えがあると、自分の子供を「どうせ駄目だろう、できない」 という、成長を信じない駄目な子供として軽蔑したような目でを見てしまいます。そんな気持ちは以心伝心で子供に通じ、子供に、ますます受け入れる気持ちを拒否させ、教育どころではありません。親と子の間に高い壁ができてしまいます。また親は、子供が遊びを受け入れるために色々工夫しなければならないのですが、考えが狭くなって良いアイデアも浮かばず、悪循環です。この頃、念仏のように「健常児」「健常児」と自分の心に言い聞かせ、自分を変えることに専念しました。

 

●「子供の前で悩みを言わない」「子供の前で出来ないことを話さない」

 

よくK先生に悩みがあると電話をかけて相談していました。もちろん、子供が側にいます。

すると、先生は、「子供はわかっていないようでいてわかっているから、絶対に子供の前では、愚痴を言わないように。」と諭されました。

それからは、細心の注意を払い、子供のいない場所で電話をするように心がけました。しかし、大分大きくなってからも、私が全く別の用事で違う人に電話をかけていた時も、離れていた場所から飛んできて、”何を話しているんだ?また、僕の悪口を言っているのか?”とでも言いたげに”電話を切ろ”いう風に電話を押さえる動作をしました。その度に「違う。〇〇の話をしているのよ」と説明をした事が多々ありました。障がいを持っている子供に対し、無反応だったら「どうせわからないだろう」と、親は、考えがちです。

話しかけたり、説明をしないでおとなが勝手に物事を決めたり、子供の前で「この子は○○が出来ない」などと、ぐちを言いがちです。子供の前で、「この子は言葉がない」と言い続けていると、もし、その子が喋れるきっかけが巡ってきても、「僕はしゃべれない」という考えに洗脳されて、喋れるチャンスを逃してしまうかもしれません。無表情であっても、何らかの障がいを持つ子供は、非常に「感」が鋭く、自分の事を言われているとすぐわかります。心が傷ついていても、その気持ちを切ない表情に表せなかったり、反抗できるすべを持ち合わせていないだけで、内心は全てわかっていると私は思います。

 

●言葉かけの継続

4歳になると、厳しい面接を経て、健常児と障がい児の統合教育を行っている幼稚園の3歳児クラスに入ることができました。

幼稚園の送り迎えは、遠かったので自転車を必要としました。自転車に乗れなかった私は、その頃売り出されたばかりのおとな用三輪自転車を購入し、生まれて初めて自転車の練習をしました。

通園の20分の間、子供が黙っているからといって、親も黙って時間を過ごすわけにはいきません。もともと、私はおしゃべりが苦手な性格だったのですが、送り迎えの最中は、童謡を歌ったり、シリトリをしたり、道すがら季節の移り変わりの様子、「春になったね」「たんぽぽが咲いているね」などと、一人、壁に向かって話しかけているような状態でしたが、無反応な息子に絶えず「言葉かけ」を行いました。

健常な子供だったら、子供からの質問があり、ごく自然にできる親子のやりとりですが、子供からのアプローチが無く、親と眼を合わそうとしない無反応の長男をほっといたら子供とのコミュニケーションがないままにどんどん時は過ぎていってしまいます。一生懸命話しかけました。

しかし、やたらと絶えず喋っていても、右から左に抜けていってしまうようでは意味がないので、その点は注意して、同じ年齢の子供の興味引きそうな話題や童謡を歌うようにしました。

健常な子供だったらこんなことを聞いてくるだろう、また、このような知識を教えたいと、堪えず考えながら、その場面にあった必要な言葉をかけていきました。私は、今はしゃべれなくても、言葉の貯金箱に一杯貯めているのだと常に考え、今にきっと言葉を理解できるようになると子供を信じて「言葉かけ」を行い続けました。

そんな努力の結果、小学生高学年頃になると、本人は、しゃべれなくても、こちらの言うことはやや理解できるようになりました。そして、相手の言うこともきちんと聞く態度もできてきました。