●初めて声を聞いた!

興味を持ち始めたボウリングに、欠席する事なく参加し、熊本で開催された地区大会に参加、金メダルを頂くことができました。その結果、「世界大会に出場する権利」が得られましたが、希望するかどうかの問い合わせがSO日本・東京から届きました。その頃勤めていた工場に長期のお休みを頂けるかどうか問い合わせたところ許可を頂けましたので、親は一緒に行かず本人一人で行かせることにしました。なぜならば、私の仕事が忙しかった上、日本では、当時、スペシャルオリンピックスがあまりにも知られていなくて、熊本まで地区大会に行った時の様子では小学校の運動会を彷彿させるようなものだったので、私は、アメリカ大会であっても大した事ではないだろうと高をくくっていたのです。身辺自立もできていたので勉強の為、一人で渡米させる事にしました。スペシャルオリンピックスは、障がい者の自立が目的なので、アスリート(スペシャルオリンピックスは、障がい者の事をアスリート呼びます)の世話は、一緒に行くボランティアさんがみてくださり、親は側で世話をすることができません。たとえ、親が応援に行ったところ、親は別に宿泊場所を取り競技場で応援するだけです。そんな訳で一人で参加させることを決めました。

世界大会出場アスリート対象に「英会話教室」が開催され、息子も英語を勉強しました。大会に出場するアスリートの為「壮行会」が開かれました。その席で、英語の成果を披露するがごとく一人一人英語で自己紹介が行われました。息子は「マヨネーズ イズ○○○○○○(my name is)」と発声しました。

それを聞いたボランティアさん達が「初めて声を聞いた!」と感動の涙を流してくれました。それまで、ボウリングのボランティアさん達は、1年間付き合いながら息子の声を聞いた事がなかったのです。息子の成長を共に喜んでくれたのです。24歳の出来事です。

 

●第9回スペシャルオリンピックス夏季世界大会・コネチカット

大した大会ではないだろうと思う私は、息子を初めて一人で、日本選手団30ボランテイアさんと共に旅立たせました。

1995年7月「第9回スペシャルオリンピックス夏季世界大会・コネチカット」は、アメリカ・コネチカット州ニューヘブン市で、参加143ヵ国の規模で開催されていたのです。その規模の大きさ、盛大さは、息子の帰国後、ビデ映像で知ることになりました。スペシャルオリンピックスは、日本で知られていなくても、アメリカでは、パラリンピックよりメジャーで、規模も大きく、それに携わるボランテイアも州全体?アスリートの通る通りは、歓迎の旗などで飾られ、アスリートは、個人のお家にホームステイさせて頂く体験もあり、日本では体験できないようなことを体験させて頂きました。

開会式は、大統領が参加し、世界的に有名なアーティストが音楽を演奏したり、開会式セレモニーは「オリンピック」と全く同じ規模、私はビデオ映像を見て、ただただ驚き、こんなにも大規模の世界大会に応援に行かなかったことに後悔と見れなかった悔しさと日本での知名度の低さ、認識の低さにがっかりしました。

そして、普段お世話になっていたS先生が、アメリカのスペシャルオリンピックス本部から、小児神経の世界的に著名な医師としてVIP待遇で招待されていたことを知りました。S先生に巡り合えた事は、私たち親子にとって何と幸運なことだったのでしょう。一生懸命頑張り、知らないうちに「運」を切り開いていたと思った出来事でした。