18.知的障がい者の為のスペシャルオリンピックス


●スペシャルオリンピックスに参加

養護学校卒業後、無事、工場に就職はできたものの、休日の時間をどのように過ごしていくのか?健常者だったら、18歳という年齢は、一番楽しい盛り、友達を誘い映画を見に行ったり、青春を謳歌できるのに、この子ら障碍者は、学校を卒業してしまうと、コミュニケーション能力もないので、友達同士で映画を見に行ったりする事もなく、スポーツをする機会もなく、これから先の長い人生を親としてどのようにフォローできるのか?哀れに思い悩んでいました。

そんな時、先輩から、知的障がい者のために「スペシャルオリンピックス」というボランティア活動が始まったという話を聞きました。アメリカの故ケネディ元大統領の妹、ユニス・ケネディ・シュライバーさんが、知的障がい者のために自宅の庭を開放し、デイキャンプを行い、知的障がい者にスポーツを通じて「社会参加と自立」を促す活動です。その活動が日本で始まったというのです。その話を聞き、1995年から、ボウリングに参加することになりました。スペシャルオリンピックス日本・東京は、1994年11月に設立され、現在では15のスポーツプログラムと7つの文化プログラムが活動していますが、当時は、ボウリングのみでした。

初めてのボウリング、親切丁寧に教えてくださるコーチは、障がい児の親でもなく、皆、一般のボランティアです。障がい者だから、甘く見るということはなく、アメリカのスペシャルオリンピックス規定のルールにのっとり、きちんと指導してくださいます。オリンピックやパラリンピックと違い、上手、下手ということでなく本人が頑張るという姿勢が大事です。活動は、年間を通して行われています。日頃の成果を発表する場として、「地区大会」が開催され、地区大会で金メダルをもらえると、その中から選出され、「オリンピック」と同じように4年に1度開催される「世界大会」に出場する事ができます。「パラリンピック」と違い、「スペシャルオリンピックス」は、ディビジョニングと言う制度があり、同じレベルの人達で競うので全員がメダルかリボンをもらえます。下手な人は下手な人達の中で金メダルを、上手な人は上手な人達の中で金メダルをもらえるので、誰にもチャンスはあります。

ボウリングに初めて参加して息子がとても嬉しそうな表情をしたのは、ストライクが出ると、ボランティアさんが皆、拍手しハイタッチをし、温かい眼差しで応援して褒めてくれる事でした。スペシャルオリンピックスは、能力が低くても一生懸命頑張る姿を認めくれるのです。そういう人達に囲まれて、体が硬く、緊張して無表情だった息子も日を追うごとに、表情が豊かになっていきました。ストライクが出ると、「やった!」とばかりに、ニコニコ顔になり嬉しさを表すようになりました。外に出て、こんなにも笑顔が見られるようになったのは、初めてのことでした。

スポーツだけでなく、チャリティーの音楽会が開催され、親子で音楽を楽しんだり、バーベキューや合宿に参加したり、夢であったあの子の青春をスペシャルオリンピックスの存在により叶えさせてあげることができました。スペシャルオリンピックスに参加中も遅刻して注意されたりはしていましたが、ボランティアさんに叱られることにより、母親だけが厳しいのではなく、世の中のルールとして悪いこと良いことを学び、成長することができました。今では、土曜日曜はスペシャルオリンピックスの色々な活動で埋まり、家にいる日がありません。スケジュールは全て自分で決め、一人で出かけています。何歳になってもスポーツができるということ、本当にこのような活動がある事に感謝一杯です。